木村専太郎クリニック[ホクロ(ほくろ)除去・下肢静脈瘤硬化療法]
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木村専太郎クリニック[ホクロ(ほくろ)除去・下肢静脈瘤硬化療法]

木村専太郎クリニック[ホクロ(ほくろ)除去・下肢静脈瘤硬化療法]

木村院長プロフィール

木村専太郎クリニック[ホクロ(ほくろ)除去・下肢静脈瘤硬化療法]木村専太郎(きむら せんたろう)
S13年4月4日 東京生まれ

【学  歴】
S32年 3月-S34年 3月 九州大学医学進学過程
S34年 4月-S38年 3月 九州大学医学部 

【大学卒業後学歴及び職歴】

S38年 3月-S39年 3月 東京都立川市・米空軍立川病院インターン

S39年 4月-S40年 6月 九州大学第二外科外科研修
(その間 山口県萩市都志見病院・北九州市立若松第二松壽園病院出張)

S40年 7月-S42年 6月 米国ミネソタ州ミネアポリス市・ノースウェスターン病院にて再度1年間インターンと1年間病理学研修

S42年 7月-S45年 6月 米国アイオワ州デ・モイン市国立ベテランズ病院にて3年間臨床外科研修

S45年 7月-S46年 6月 米国アイオワ州立アイオワ大学外科教室にて1年間臨床外科研修(SeniorResident・シニア・レシデント)

S46年 7月-S47年 6月 米国アイオワ州デ・モイン市国立ベテランズ病院にて1年間臨床外科研修

(Chief Resident・チーフ・レシデント)


S47年 8月-S50年 8月 飯塚市 麻生飯塚病院外科医長

S48年 4月-S50年 4月 九州大学第二外科・医学博士課程専修生

S50年 3月 九州大学 医学博士号 修得

S50年 9月-S52年 6月 米国アイオワ州デ・モイン市国立ベテランズ病院にて外科及び頭頚科医長

S52年 6月-S53年 4月 大分県別府市国立別府病院 外科医長

S53年 4月-S55年12月 米国アイオワ州デ・モイン市国立ベテランズ病院にて外科及び頭頚科医長

S53年 6月-S55年12月 米国アイオワ州立大学医学部外科講師

S53年10月-S55年12月 米国アイオワ州デ・モイン市にて外科開業

S53年12月-S55年12月 米国アイオワ州デ・モイン市マーシイ病院及びルーテル病院[ER]勤務

S56年 1月-S60年12月 大分県日田市 日田中央病院院長

S61年 1月-H13年 3月 福岡市南区・那珂川病院院長

H13年 4月2日 木村専太郎クリニック開設

S38年 2月 日本剣道連盟・五段位修得
S39年 4月 日本国・医師免許取得
S50年 3月 九州大学医学部 博士号 修得
S50年 4月 米国アイオワ州医師免許取得
S52年 4月 米国外科学会・外科専門医試験合格
S54年10月 米国心臓協会第一及び第ニ次心肺蘇生術指導医資格取得(BCLS & ACLS)
S56年10月 国外科学会正会員(Fellow of American College of Surgeons・略して FACS)
H 1年12月 日本体育協会「スポーツ・ドクター」資格習得



「この街のお医者さん」 (月刊はかた8月号掲載)
豊富な知識と経験から"よろず相談"という新しい形を
 「日本には各分野に腕利き名医が多い。ただ、逆に専門的になりすぎて医療範囲を狭めているのも確か。一人の人間としての医師が、地域に根ざした診療活動によって築く患者との関係をもっと大切にしたい」
あえて自らの名前をクリニックに付け、"病と健康のよろず相談所"として開業した木村さん。内科・外科・整形外科・リハビリ科という規定科目で診療する一方、その豊富な知識と経験を生かした、より間口の広い診察を行っている。
 「体調がすぐれなかったり、身体に対する何らかの不安などどんな些細なことでも相談に来てもらいたい。例え病気でなくとも、肩凝りや腰痛など症状と原因の因果関係が判り難いものも一度きちんと診察しておく必要があります。危険なのは、『恐らくこうだろう』と自分でにわか診察してしまうこと」。もちろん必要とみれば、幅広く専門医への紹介を行っている。
 ホームドクターというより、地域に生きる現代の赤髭先生といった雰囲気の木村さん。実は十二年間にわたり医療先進国アメリカで過ごした経験をもつ。その間、病理学を修め、国立病院・アイオア大学で外科の研修を終えると、今度は州医師とアメリカ外科医専門医師の両免許を取得。その後、ER(緊急治療室)に勤める傍らで開業医という、まさに医療の第一線に携わってきた。
 まさにこれらの経験こそが、医療全般の視点を必要とする"よろず相談所"という形に集約されているのだろう。
 「白衣を着るとかしこまっちゃうから」と気負いなく話す。「患者さん一人ひとりが、人間として幸せに生きるための良き友人でありたい」と長身の体を揺らしながら笑う顔に、なんだかホッとさせられた。

木村専太郎クリニック「医者武者修業 in U.S.A」

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「医者武者修業 in U.S.A」 木村専太郎著
九州大学医学部同窓会 学士鍋 第80号(1991.9.20)
清成秀康氏の寄稿より抜粋


此れの本の読者の多くは、恐らく医師や医学生を始め様々な世代にわたるであろう。著者が軽妙な筆致で綴る筑豊での高校時代、剣道部の毎日、教師との交流、受験準備、大学生活などは現代の青年達にどの様に写るであろうか。多分、古き良き時代の牧歌的生活として童話のような印象を受けるのではなかろうか。
しかし、それは著者のおおらかさや懐の深さによるものであって、淡々と語る文章の背後には何時の時代も変わらぬ、青年期に特有の自負や誇りと共に、惑いや不安、青春の模索が読み取れてこの所振り返る事のなかった私自身の想い出を鮮やかによみがえらせてくれた。
六本松での教養部時代、この時から私は六年間を著者と共に医学生として多くの時間を共有したのであるが、今この本を読んで大変羨ましいのは二年間の教養部生活が彼にはまさに教養部であって、英語を中心にラテン語まで含んだ語学への傾倒やスポーツに取り組む姿、人々との出合いは我々にも身近な情景であるにも拘わらず、彼のそれには、カロッサの「美しき惑いの年」、漱石の「三四郎」などと通じ合う独特のみずみずしさが溢れている。

然し乍ら、本書に描かれた著者の半生の自伝のなかで最も心を打つのは、九大を卒業し、立川の米空軍病院でのインターンを経て米国に渡り外科レジデントとして孤立無援の生活を始めてからである。昭和39年当時、未だ我が国の国力は現在程には世界に認められておらず、言わば発展途上国であった日本の一青年が同僚や先輩医師たちに少しづつ存在を認められ習練を積んでゆくには並々ならぬ困難があったと想像される。

外科レジデントのコース選択が望み通りにならなかったり、指導医が意地悪であったりして多少の遠回りを余儀なくされたものの、どのような場合でも結局は目標を達成してしまうのはひとえに著者のおおらかさに支えられた、粘り強く強靭な生き方によると思われる。

語り綴られている多くのエピソードの中でも、圧巻は周到な準備の上で挑戦する外科専門医試験、とりわけ口頭試問の場面である。世界的に著名な教授達に囲まれて次々に質問をクリアーしたあと、最後にエール大学のバヴィ教授に「君はハルステッドと言う名前を聞いた事がありますか」と問われ、一際身を乗り出して医学史に関わる様々なエピソードを縷々述べたて、ついには謹厳な試験官たちが笑いだしてしまうくだりである。

この情景にこそ著者の人柄、人生への姿勢が如実に現われている。即ち、あれ程苛酷な試験準備のさなかにあっても、個々の専門知識だけでなく医学そのものに関わる広い裾野に目を向けて、氷山のように海面下に厚みのある知識を身につける結果となっている。

帰国後の著者の、医師としての活動を見るにつけ多くの患者に信頼されるのみならず、若い医師達に慕われるのも当然であると思われる。
読み終えて、爽やかさに満たされる一冊であった。

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