16歳の享和2年(1802)に、凉庭は従兄の丹山の学僕として、従兄弟の主君福知山侯の江戸藩邸に行き、2年後の文化元年(1804) の秋に帰郷した。帰郷後に故郷丹後で開業し、両親の世話をしている。
凉庭は「傷寒論」、「金匱(きんき)」「温疫」の三書をよく読んで研究して、「汗吐下法(発汗法、嘔吐法と下剤をかける方法)」をもって万病を治療していた。その医術の妙が評判になるに従い、丹後と但馬の各地から重病人が押し寄せてくると、「汗吐下法」だけでは、治療法が不十分なことを感じていた。
21歳のとき、丹波檜山の近藤氏宅にて「西説内科撰要」を読む機会があった。この本は蘭方医・宇田川玄随が寛政5年(1793)に出版したもので、その中の黄疸編を読んだとき、新しい啓示を感じた。「西説内科撰要」の「西説」とは、西洋医学のことである。そこで長崎留学を思い立つが、勿論両親に反対され実現不可能の様相であった。しかし、田辺藩において英哲の聞こえが高い家老・内海杢が新宮凉庭の志を聞き及び、長崎留学の件を藩に申請した。そして幸いにも官許を得たために、長崎留学が実現した。
当時の情勢では、一介の街医者がこのような待遇を得ることは、極めて異例のことであった。藩から支給される金子は、両親の生活費として残し、一念発起した凉庭は文化7年(1810)8月6日に長崎に向かって出立した。
凉庭の長崎留学は、「西遊日記」と「鬼国先生言行録」に詳しい。
彼は、途中福知山の恩師で叔父の有馬凉築の家に数日間滞在したのち京都に向かった。凉庭の「凉」の字は、叔父の有馬凉築の「凉」の一字を貰って付けたものである。
さらに大坂(大阪)にて、当時著名な蘭学者の野呂天然と橋本宗吉に会い、宗吉のもとに6ヶ月入門滞在して、蘭方医学の手ほどきを受けた。通常大坂から船で瀬戸内海を旅するが、凉庭は陸路山陽路を選び、著名な医家を訪ねて草鞋を脱ぎ、逗留しながら勉学している。また街道の宿駅で病人を診察し、さらに病家を訪ねて医薬を売りながらの道中であった。ギリシャの医聖ヒポクラテスが諸国を遍歴して医療技術を修業したことを髣髴とさせる物語である。
広島では、名医・恵美三白と中井厚沢に会い、三白の処に文化8年(1811)の正月まで10ヶ月も逗留している。その間、三白の医術を習い、さらに厚沢の蔵書の蘭学書を多数閲覧するチャンスに恵まれた。「西遊日記」には、そのあと文化10年(1813)に黒田藩(現福岡県)に入るまでの2年間の記述がないそうだ。
福岡では、医師で著名な儒学者の亀井南冥を訪れ、菅原道真が祀ってある大宰府に詣でたあと、近くの筑前山家から長崎街道を通って長崎入りした。丹後を後にして長崎まで、出発から丸3年かかった壮大な旅であった。
その間の著名な医師と交流し、著名な著書を読破し、旅費と滞在費は診察によって得た報酬で賄え、さらに長崎での学問の費用を蓄財し、故郷の母には毎月「二方金」を送金し続けたという驚いた根性の持ち主であった。これらの勤勉、努力そして根性は、のちに巨万の富を蓄える基礎になっている。
長崎では、吉雄権之助の塾の食客となり長く滞在した。吉雄塾には多くの門弟や諸国からの留学生がいたが、凉庭の才能と実力、そして勤勉さは群を抜いていた。
吉雄権之助はオランダ語の通詞でもあるために、当時のカピタン(商館長)のヅーフと懇意であった。このヅーフが凉庭の人物と才能に惚れ込んで、出島に出入りが可能になった。当時の商館医はフェールケであり、彼との交流で凉庭は、オランダの新しい知識を直接吸収することが出来た。
不幸にもフェールケが出島で病死したために、次の商館医パティが到着するまで、凉庭が出島の和蘭商館内の館員の健康管理を依頼されていた。長崎に悪疫(多分天然痘であろう?)が流行したときに、パティと協力して防疫に携わった。このときの経験に関係するオランダ書をパティから借りて訳し、「神経疫論」と「腐敗疫論」として著した。
そのために文政元年(1818)に長崎を去るときには、彼の名声は九州一円に広がり、各大名から招聘されたと聞く。とくに鍋島侯を診察したときは、千両箱に熨斗が付けられていたという。
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