田原淳というと、心臓の中の「田原結節」を発見した医師として、一般に知られている。心房と心室の境にあるこの田原結節は、房室結節(Atrioventricular Node)と呼ばれ、通称“A-V node”と略称されることが多く、最近は田原結節とは呼ばれない。
田原結節の発見は、実際は偉大な業績のごく一部で、田原結節の下に続く「ヒス束」、さらに右脚と左脚を含んだプルキンエ繊維の末端までを連絡路を発見し、哺乳動物の「刺激伝導系」、すなわち心臓の興奮伝導のメカニズムを解明した。これはドイツ留学中のことで、かの地で200頁の「黄色い表紙の本・Das Reitzleitungssystem des Saugetierherzens(哺乳動物の心臓刺激伝導系)』を出版されて帰国された。
現在、死亡率第2位の原因になっている心臓病は、我々現代人にとって大きな関心事である。心電図診断法やペース・メーカー挿入術、心臓カテーテル造影術やステント法、またバイパス手術法など、素晴らしい治療法が発展しているが、この今日の心臓学の基礎を築いたのが、病理学者の田原淳である。
田原淳は、大分県国東(くにさき)半島の安岐(あき)村に生まれ、中津の田原家に養子になり、東大医学部を卒業して、ドイツに3年留学中に、前述の世紀の大発見をして帰国、九大医学部病理学教授に就任した、まさに生粋の九州人である。このシリーズの第2回で、田原淳の人生を詳しく述べる予定である。
私がまだアメリカに居たころ、日本のどのような医学校から来たのか、よく質問された。そこで、私は日本の九州大学出身で、「橋本病」の橋本策(はかる)と「田原結節」の田原淳で有名であることを自慢すると、米国の医師たちは橋本病をよく知っていたが、残念なことに田原結節は知られていなかった。
しかし、嬉しいことに中南米からの留学生の医師たちは、みな田原結節を知っていたことである。米国アイオワ州デ・モイン市国立ベテランズ病院で外科の研修医をしていた昭和42‐46年ころ、3年目の一般外科研修医は、当時最新の心臓ペース・メーカー挿入術を経験する機会に恵まれた。
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